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花のある暮らし三月に入って、陽だまりにいるとじわじわと春の喜びに浸れる、
そんな日々が多くなってきた。
ヒヤシンスが咲き、クロッカスが咲き、ムスカリが咲き
花ニラも咲き始めた。
足元の小さな花たちを愛でながら、春の夕闇にまぎれて
沈丁花の甘い香りに振り向くと、モクレンの白い花が暗闇から
ぼおっと浮かび上がる。
そんな季節だ。
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藤枝市岡部町に十輪寺という モクレンのたくさん植わっている曹洞宗の寺院がある。
墓石の周りを取り囲むように、山の傾斜に沿ってたくさんのハクモクレン、シモクレンをはじめとする数種のマグノリアが植わっている。
春の花との競演もいい
宮沢賢治が「マグノリアの木」という短編小説を書いている。
法華経の中の善の教えをなんとか寓話にして皆に伝えたいという願いがあったという。
少し難しいが、すべての事は自分が因果で果報につながり、試練などは覚者になるための善ということかもしれない。
『 「ごらんなさい、そのけわしい山谷に、いまいちめんにマグノリアが咲いています。」
「ええ、ありがとう、ですからマグノリアの木は寂静です。あの花びらは天の山羊の乳よりしめやかです。
あの香りは覚者たちの尊い偈(げ*1)を人に送ります」
「それはみんな善です」
「誰の善ですか?」
諒安は、も一度その美しい黄金の高原と険しい山谷の刻みの中のマグノリアを見ながらたずねました。
「覚者の善です」
その人の影は紫色で透明に草に落ちていきました。
「そうです、そして私どもの善です。
覚者の善は絶対です。それはマグノリアの木にも表れ、
険しい峰の冷たい巌(いわ)にもあらわれ、谷の暗い密林も、この河がずうっと流れて行って氾濫をするあたりの
度々の革命や飢饉や疫病やみんな覚者の善です。
けれどもここではマグノリアの木が覚者の善で、また私どもの善です。」
諒安とその人と二人はまたうやうやしく礼をしました。』
*1 偈 仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるの に韻文の形式で述べたもの
こんなことを書いていると、頭が痛くなっちゃう...w